それでも、日本人は「戦争」を選んだそれでも、日本人は「戦争」を選んだ

作者:加藤陽子 出版社:朝日出版社(2009-07-29)
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戦争を避けるには、戦争をよく知らねばならない!  by さすらいのエッセイスト

5star2009-08-14
近代日本が行った戦争という話になると、戦後は一切戦争をしていないので、明治維新から終戦までという話になるが、日清日露の両戦争に代表される前半と、満洲事変に始まり終戦に至る15年戦争に代表される後半に大きく分かれる。前半の日清戦争はともかく、日露戦争は全くの辛勝で、いくつかの大きな幸運に助けられたという側面は否定できず、織田信長の行った戦争に例えるなら、桶狭間の戦いあたりになるのであろう。ただし織田信長は生涯に一度しか桶狭間の戦いのような戦争をしていないが、日本軍はこの日露戦争をその後の範としてしまったところがあり、太平洋戦争末期の負け戦であることが歴然としている状況下でさえ、インパール作戦のようなとんでもない起死回生の大博打を打って墓穴を掘っている。そして前半と後半の間にくるのが第1次世界大戦であるが、ここでは本格的な戦闘をなんら経験せずに漁夫の利を得たことが、かえって総力戦時代に見合った軍隊の近代化を遅らせることになる。太平洋戦争を待たずとも、そのことが如実に現れたのがノモンハン事件で、2度の五ヵ年計画ですっかり様変わりしたソビエト軍に、泣く子も黙る関東軍は翻弄されることになる。

前半と後半を分ける大きな違いは、前半は、軍人ではないが日清戦争でPivotal Leadershipをとった伊藤博文あたりが典型的であるが、幕末に下級武士としての教育を受けた人達が担ったのに対し、後半の戦争を担ったのはいわゆる陸大あたりで養成されてきた軍事Technocratsで、東条英機あたりがその典型となる。近代国家の戦争は、国家をあげての営みで、特に第一次世界大戦後のように総力戦の時代に入ると、なおさらである。当然軍事と政治、外交、経済がきちんと統括されないとまともな戦いはできない。下級武士の教育というのは、いわゆる儒学と朱子学中心というか、要するに、論語あたりを幼い頃から、意味がわかろうがわかるまいが関係なく、素読させる。それでどういう技術が身につくというわけでもないのだが、大所高所から考えるという人生や社会に対する処し方は身につく。技術的なものは後で必要になれば、大急ぎで勉強することも、あるいは下の者に任せることもできるが、この大所高所から考えるという態度は一朝一夕に身につくものではない。これに対し、陸大あたりの教育は、完全に軍事技術的な話に偏り、戦争でLeadershipを取る人間に絶対欠かせない社会科学あたりの教育はほとんどないかお粗末そのものである。結果として、蛸壺的な軍事に関する知識以外には、他愛もない精神主義しかない軍事Technocratsを大量に生み出し、こういう人間が、国家をあげての軍事体制に移行して、経済や外交にも嘴をはさんでくるようになるとどうなるかをまざまざと示しているのが、15年戦争の頃の日本である。太平洋戦争の火蓋を切った真珠湾攻撃の折も、敗戦を決定的としたサイパン陥落の折も首相の座にあったのは東条英機である。安部信三元首相の外祖父にあたる岸信介は、東条内閣に商工大臣として入閣しているが、東条を評して”裸にすれば、橋本欣五郎以下の男だ”と喝破している。橋本欣五郎というのは、三月事件と十月事件というチャチなクーデター未遂事件を起こした桜会の中心人物で、奇矯な行動で有名な方である。ドイツの社会学者Max Weberは”最高の官僚は最低の政治家である”という名言を残しているが、これが見事なまでに当てはまるのが最高の軍事官僚であった東条なのである。東条の側近であった星野直樹は東条を評して、”やれと言われれば何でもできるが、そこから先がない”と的確なCommentを残している。官僚というのは、規則にさえ従っていれば、その結果に対して責任を問われることはない。これに対して政治家は結果責任である。満州事変の立役者で、東条と犬猿の仲だった石原莞爾あたりになると、もっと辛辣で、極東軍事裁判の参考人として”あなたと東条はよく意見の対立があったようですが...”と水を向けられると

”私には多少とも意見がありますが、東条には意見と呼べるものが全くありません。意見のないものとは対立のしようがありません。”

と鰾膠も無い。

著者の加藤陽子女史は一貫して近代日本の戦争史を研究されている方で、今の日本でこの話題を語らせたら、女史の右に出る者はいない。是非一読を薦めます。御主人が東進High Schoolで日本史を教えておられることが関係あるのかもしれないが、女史は最近若者への啓蒙活動に力を入れられているようである。